僕も死ぬこと自体は怖くないな。 多分定義の問題で「病気とか痛みとか苦しみってのは生」っていう定義なので。 死は無なので、無に対する感情はない。
「両手で全体重を支えられる」であっても、逆立ちができるとは限らなくて、バランス、持久力、力のかかる向きなどのパラメーターもある。 逆立ちだと腕だけでなく肩の筋肉が大事になるように思う。大胸筋とかはどの程度影響するのだろうか。 僧帽筋の上部とか大胸筋の上部とかも関係しそう。
昨日の話。 洗剤とまちがえてマウスウォッシュを洗濯機に入れそうになった。 キャップに目盛りがなくて「なんで目盛りがないんだー」ってなって気づいた
やっぶみーん
うにゅう、おはよう
操作的意味論と表示的意味論って知らなかったけど、僕が実装と意味論って呼んでたやつだ
HaskellのIOを理解するという話、意味論と実装のどっちにフォーカスするかで全然違う話になる。 個人的には意味論の方を理解したほうが「Haskellの気持ち」を理解できていいと思うのだけど、他の言語からの類推が効くのは実装のほうかもしれない。 (意味論とか実装とかの言葉はここでは雑に使ってる)
Lazy IOはHaskellの「かっこいいけどだめな部分」だ。 でも知っておく必要はある。先にunsafePerformIOを見とくといいかもしれない
クロワッサン、今の季節だから3回の折り込みを一気にできるけど、夏場になったら1回折り込むごとに冷凍庫で10分とかにしなくちゃなんだろうな。
foo A = ... foo B = ... という書き方は foo = \case A -> ... B -> ... のように書ける。 たいていにおいて冗長性は減るのだけど、インデントは深くなってしまう。 場合によって書き分けてる。