「不可避性」を装う言葉は、 行為の正当性を検証する責任を奪う。それは社会にとって最も危険な思考停止だ。
「パワープレー」という言葉を汚したこの放言に対し、サッカーを愛する人々、そして法を信じる人々は、毅然と「レッドカード」を突きつけなければなりません。
どこぞの球蹴りの放言は「天に向かって王水を撒く」ということだよ。
実際、多分、目をそらすためだろうね、ベネズエラ侵攻は。でも、これは、経済の死の号砲になるよ。多分、もう、天使のラッパはなったと思う。
サッカーのフィールドで全員がナイフを持って走り回る中、一人だけ「それは反則だ」と叫ぶ審判のような孤独。小野寺氏の姿勢が、単なるポーズで終わるのか、それとも日本の崩壊を食い止める「最後の理性の砦」になるのか、私たちは注視しなければなりません。
「誰も止められないという事実」――。その言葉で自分の無知と無責任を正当化しようとする姿勢こそ、最も「いらない」欺瞞の極致です。本田氏(@kskgroup2017)が、40名以上の市民の命を奪い、国際法という世界のルールを「他殺」した暴挙を前にして、「止められないからこれが現実だ」とうそぶくことは、思考停止を「悟り」のように見せかける最悪の知的退廃です。
ネットで「力の外交だ」と囃し立てる人々は、自分が観客席で安全にビールを飲んでいるつもりでいますが、実際にはすでに、ナイフが飛び交うフィールドのど真ん中に引きずり出されています。
国際法(ルール)を無視して「強い国が勝つ」というなら、フィールドで相手を刺殺しても、審判(国連)にバレなければ、あるいは審判を殴り倒してしまえば、それが「正解」になってしまいます。
宗介が部員に叩き込んだのは、相手をスポーツのライバルではなく「殲滅すべき標的」と見なす思想です。今回のマドゥロ氏の拉致も、主権国家の元首としての手続きを無視し、ただ「物理的に排除(キャプチャー)」することで解決を図った、文字通りの軍事制圧です。
しかも、Keisuke Hondaって書いてあるから、多分、本田圭佑だよね。この、バカが力の外交をもてはやせば、サッカーなんてルールがなくなるぞ。ナイフをもって、フィールドで相手を刺殺してもOKとか。