失敗によってどれだけ成長や成功を得ても、それは失敗による恥を打ち消すことにはならない。恥によって永遠に苦しむことを防ぐために、「強気にやって、恥を恐れずやってきたからこそ、今の自分がある」と、自分を「赦す」のだ。
ときに、「人間は失敗を繰り返して強くなる」という言説について、昔は特に何も思っていなかったが、「自分も失敗を繰り返して強くなってきたからこの言説側の人間だったなあ」とふと思ったのちにさらにふと思った。
この言説、「失敗の正当化」や「過去の自分の救済」という側面があるのでは?と。
自分の立ち位置など、相対的な場所でしか理解できそうにないが、それは主に感覚で探るものなのか?
自分は強豪野球部の部員がいる場所をキラキラしてる場所だと思っていて、必死の思いで努力して、ようやくそのキラキラした場所に到達したと思ったら、そのキラキラした場所ではそこを泥沼だと思ってる人たちがさらにキラキラした場所を目指してるんだよ。キラキラした場所を目指して必死に頑張って得たものは、「さらにキラキラしてる場所を見学する権利」というわけだ!あははははははは!なんだよこれ!やってられるかよ!ふざけるなよ! ……そんな捨て台詞の一つや二つも言いたくなりますよ。
セックスがエロいのではなく、セックスをする俺がエロい
近江牛くいたいね
一般人・絵が上手い人・神絵師という簡易な3段階モデルで物事を語るのをお許しいただきたいのだが、一般人にとって絵が上手い人は理解できない存在で、神絵師はもはや別世界、あるいは枠外の人間なのだ。そして絵が上手い人にとって神絵師は理解できない存在となるのだ。我々一般人は、絵が上手い人が神絵師を見て絶望したり自虐したりするのを苦々しく見がちだが、ただただ理解できない存在がさらに理解できない存在に打ちひしがれているということだけは、辛うじて理解できるのだ。
これって絵師界隈にも同じことが言えると思うんだよね
中学でやっと野球部内のエースになったと思ったら、強豪校のスタメンどころか一軍にも入れないわけだよ。そのスタメンたちも、プロ野球選手にはなれないわけだよ。そのプロ野球選手も、大谷翔平にはなれないんだよ。ピラミッドの下にいる人間が、どうやって頂点にいる人間の凄さを具体的に理解することができるだろうか!
だって、ほんの一握りの選抜されたプロ野球選手たちがこぞって大谷のプレイを見て絶望なり衝撃を受けるなりしていたわけでしょう?そのプロ野球選手たちもまた、絶望を与えてきた側の存在に他ならないわけだよ。まさにピラミッドの頂点。野球をやっていない我々、つまりピラミッドの外側にいる人間はピラミッドがいかにして作られたか何もわかっていない。ピラミッドの内側に行って初めて、ピラミッドがどう作られたかわかるのだと思う。