ChatGPT になんか面白い話してーと言ったら、ちゃんと面白そうな話を出してきたが、詳しく問い詰めたら、実は単なる慣習の問題であんまり面白くないかもと認められてしまった。ごめん……。(本当は面白い可能性もある)
用語の日本語化したい
あの頃の偉大な哲学を持っていた人たちの癖が強すぎて人が離れていったみたいなのあるんだろうと思うと、ね……
仮にも追悼文で、パーソナリティを書いたパートが "he could be excessive." (彼は度を超すこともあった。)で終わるの、相当だったんだろうな……
アイデアは美しいが癖の強い論文の著者の追悼文を見つけたので読んでみたら、やっぱり本人も癖の強い人だったらしい。この分野そういう人ばっかりでウケる。
パスタを食べた
家事でマインドフルネスしたい
ババーン
さあ、寝るぞ、寝る、絶対に寝ます、寝なかったら木の下に埋めてもらっても構わないよ
一定の結論というのは、① 実存は基本的にどうでもよい、② しかし実存を捨てることは現実的にはかなり困難である、③ したがって実存を所与の環境要因として受け入れよ、ということで、要はよくある「生かされている」論なのですが、「私」という局所的な範疇では、これをかなり受け入れられる気がしてきたということです。より普遍的な問題としての実存そのものの道徳性については保留します。